〈小学校入学前〉
近所の幼なじみが、幼稚園に母親と手を繋いで通園。縁側の障子の隙間からからそっと覗く。園に行ってない私は、少し羨ましかったのだろう。
〈本当に何も無かった〉
家にはうまいお菓子など無かったような気がする。(茶箪笥の奥の、柴田屋の饅頭以外は)でも、土間の棚に二つ瓶が並んで置いてあり、一つには近くの産地、気仙沼で取れた秋刀魚の甘露煮がぎっしりと保存されていた。腹が減れば、瓶に手を突っ込んで、一つ二つ三つ四つ食べるのだ。もう一つは、梅干だ。自家製で、かなり大きい。これも、紫蘇の葉ごと頬張り、しばらく口の中で転がすのだ。最後は、種を噛み割って、中の白い身のようなものまで食べるのだ。また、裏には漬物小屋があって、毎年、親父、お袋、婆さんで漬けた、大根、白菜、胡瓜もお腹を満たしてくれた。大鍋には、かぼちゃの煮物、薩摩芋の蒸したやつとか、ササギ豆、小豆の甘く煮たやつ、とか、季節の物が作られていて、言わずもがな、、、、、、。
〈ご飯炊き名人から炒飯の名人へ〉
石油コンロというものが家に登場した。ある時、お袋の見様見真似で炒飯を作った。家族の絶賛に、私は料理が好きになった。
〈ブラザーのミシン〉
ミシンが好きだった。横にベルトが付いていて黒いヤツ。ベルトを手で反動つけて回すのと同時に足元のペダルを踏む。八つ年上の姉は難なく動かすのだ。私は、上手くいかない。時々成功する。アナログな遊び道具だった。これで、裁縫が上手くなった。中学の頃、ジーンズの履き古しでカバンを作った。